三春藩七代藩主秋田倩季よしすえは、藩士子弟の教育の場として藩講所を創設し、天明5(1785)年の大火での焼失後、現在の三春町役場の位置に再建しました。倩季は、その講堂に、「明徳堂」と名付けました。藩講所は、明治以降も小学校や師範学校、自由民権の学塾・正道館などとして利用されましたが、太平洋戦争後、表門だけが三春小学校の校門として移築されました。その後、倩季筆の「明徳堂」扁額を欅板に写して掲げたことから、「明徳門」と呼ばれ、親しまれています。
福島県田村郡三春町大町157-2
藩講所表門(明徳門)